科学の第一線でこの世の未知の解明に挑む研究者たちは、これまでどのような人生を歩み、どのようなことを考えてきたのか――。
そうした問いのもとに、研究者の内面に迫るインタビュー企画『Inventor’s Vision』。今回登場するのは、東京大学 先端科学技術研究センターの松久直司さんです。
松久さんの研究テーマは「柔らかいナノ電子材料を用いたインタラクティブデバイス」。ゴムやゲルなどの素材に電気を流す性質を持たせることで、人の皮膚に装着しても違和感がないほど柔らかなデバイスなどを実現できないかと、日々研究に取り組んでいます。
学際的な分野ゆえ、これまでの研究生活の中では壁にぶつかったこともあったという松久さん。果たしてどのように壁を乗り越えることができたのでしょうか。電子工学に興味を持つようになったきっかけから研究者を志すようになった理由、海外大学での研究生活まで、松久さんのこれまでのキャリアについてたっぷりと語っていただきました。
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興味関心を追求し、電子工学の道へ
――松久さんが電子工学の世界に足を踏み入れたきっかけを教えてください。
僕がこの分野に入ったきっかけには複数の要素があるのですが、まず言えるのは、アマチュア無線オタクの父親の影響でしょう。父の中に「アマチュア無線が好きな少年に育ってほしい」という思いがあったのか、父は僕が幼い頃からよく、当時住んでいた大阪府内の日本橋にある電気街に連れて行ってくれました。結局父の期待通りの少年にはならなかったのですが(笑)、小さい頃から機械や部品が身近にあった環境は、エレクトロニクスに目を向ける素地を作ってくれたように思います。
また、時代の影響も色濃く受けている気がします。僕が子どもの頃、身の回りにあるさまざまな機械が大きな進化を遂げました。例えば、僕が大好きだったテレビ。当時、テレビはブラウン管から液晶テレビへと徐々に切り替わっていく時代でした。携帯電話も「ガラケー」として日本独自の発展を遂げ、多種多様な機種が出ていました。そうしたデバイスの進化が身近にあったのも、新しいエレクトロニクスの研究・開発に興味を持つきっかけのひとつと言えると思います。
——そうした原体験があって、東京大学工学部電気電子工学科に進まれたのですね。
そうですね。ただ、東大は入学してすぐに特定の学部に所属するのではありません。学部1~2年次は教養学部で学び、3年次に成績などを加味して所属学部を選びます。いわゆる「進振り」という制度ですね。僕自身はありがたいことに進振りで多様な選択肢の中から学部を選べる状況にあったのですが、兄から「研究室を見て学部学科を決めたほうがいい」とアドバイスをもらったことで、興味のある研究室があった電気電子工学科に進むことを決めました。
当時、柔らかいエレクトロニクスをテーマとした研究室が、物理工学科から電気電子工学科へ移動したタイミングだったんです。学べる内容や所属している先生、学生からの人気度……さまざまな角度から学部を検討し、かなり迷ったのですが、やはり「おもしろそう」と感じた研究に取り組んだほうが良いと感じ、そのまま自分の興味関心に忠実に学科を選択しました。結果的にとてもおもしろい研究ができたため、この選択で良かったなと思っています。
——進路の選択肢がさまざまに広がっている中で、研究者になることを決めた理由もお聞かせいただけますか?
進む道を自分で決められる研究職が自分の性に合っていると感じたこと、そしてアカデミアの世界にいる尊敬できる人たちと仕事がしたいと思ったことが大きな理由です。
実はもともと研究者を志していたわけではなく、学部で研究室に入った頃は、大学院の修士課程を終えた後、企業に就職するつもりでした。ですが、想像以上に研究がうまくいき、指導教官の勧めもあって、博士課程に進学することに。研究を続けていくうちに、自分の性格上、誰かが定めた明確なゴールに向かって進むよりも、興味の赴くままにさまざまなことを手がけるほうが向いていることに気がつきました。
また、アカデミアは実力勝負の世界。それぞれの研究者が自分の責任のもとにやるべきことを考え、進むべき道を決めています。自らの信念を持ち、研究や学問に情熱を注いでいる人も多く、私個人としてはそういう人たちのほうが気が合うように感じました。厳しい世界ですが、仕事をするなら、尊敬できる人たちがいる場所に身を置きたかった。それで、研究職の道を歩み始めたのです。
「多様性の意義」を学んだスタンフォード大学時代
——松久さんは東京大学大学院を修了後、シンガポールとアメリカの大学に留学されています。海外の大学で研究することに決めた理由を教えてください。
理由は2つあります。1つ目が、大学院の指導教官が「アカデミアの世界で研究を続けていくのなら、絶対に一度は世界の研究者と仕事をしてみたほうがいい」とアドバイスをくださったからです。2つ目は、環境をガラリと変えてチャレンジしてみたいと思ったからです。当時、私は研究室の中でもトップに近いポジションにいました。そうした環境にずっと居続けるのは、“井の中の蛙”となってしまい良くないと個人的にも感じていたのですね。もっと自分の力を試せる場所に行きたい。そう思ったことで、アメリカの大学に留学しようと心を固めました。
ちなみに、渡米前にシンガポールの南洋理工大学に在籍していたのは、スタンフォード大学とコラボレーションしたプログラムがあり、予算なども含めてそのプログラムを活用するよう、スタンフォード大学での上司にあたる教授からアドバイスがあったからです。短期間の所属でしたが、南洋理工大学では論文執筆などの成果も残すことができました。
——スタンフォード大学では、どのようなテーマの研究室に所属したのでしょうか。
高分子材料を扱う研究室です。僕は電子工学出身ですが、材料の研究がしたいと思い、その分野ではとても有名な先生に連絡を取ってみたところ、無事に受け入れてもらうことができました。
——現地での研究生活で学びになったことや、今に活かせている気づきは何かありますか?
研究の世界でダイバーシティ(多様性)を大切にする意義を実感できました。スタンフォード大学の研究設備は、東京大学と比べて突出して秀でているわけではありません。むしろ、東京大学のほうが世界一の最新設備が導入されているケースも多い。スタンフォード大学では、年季の入った機械を使い続けている研究室をよく見かけます。しかしそれでも、スタンフォード大学は毎年のように数々の素晴らしい論文を発表し、世界の研究に大きな影響を与えているわけです。
では、なぜスタンフォード大学は次々と良い研究、おもしろい研究を生み出せるのか。その秘訣は、多様な人材が集まっていることにあります。さまざまなバックグラウンドを持った人たちが一堂に会し、意見を交わす。たったそれだけのことで、研究設備に莫大なお金をかけずとも、良い研究の種となる“おもしろいアイデア”があふれ出てくるのです。
スタンフォード大学のそうした環境に学びを得たことで、現在主宰する自分の研究室でも多様性を大切にしています。電子工学の研究室ではありますが、研究室内で有機合成も扱いますし、材料化学分野の企業から研究しに来てくださっている方もいます。バイオ・ライフサイエンス分野の方々と共同研究を積極的に行っているのも、多様な人と関わり、研究を進めていくことが、おもしろい研究に繋がると考えているからです。
https://x.com/naoji_tokyo/status/1907241096285172040
ポスドク時代のスランプ経験で
「一人で抱え込まないこと」の大切さを知った
——これまでの研究生活の中で、最も大変だったことは何でしたか?
ポスドクの頃が一番つらかったかもしれません。「柔らかいエレクトロニクス」の研究は、分野横断的で、さまざまな知識が必要となります。例えば、分子の構造を変えるという部分では有機合成の知識が求められますし、分子構造をいじったものを電子デバイスとして使えるような素材に仕上げようと思えば、材料化学の知識が必須です。電子デバイスを作り込んでいくなら、エレクトロニクスの技術が欠かせません。さらに、作ったデバイスが人体に装着して使用可能なのかを検証するには、バイオロジー分野の研究者との共同研究が必要です。
分野横断的にさまざまな知識を得るのは楽しい部分もありますが、同時に難しいことでもあります。ポスドクの頃の僕は、研究に必要なあらゆる知識や技術を、すべてひとりで理解し、習得しようとしていました。そのため、博士課程を修了してスタンフォード大学で研究生活を始めた際、実験がうまくいかず、壁にぶち当たってしまったのです。
——その壁を乗り越えることができたきっかけは、どこにあったのでしょうか。
きっかけは、アメリカに一緒に来てくれた妻に、自分の状況を打ち明けたことでした。
実は僕は、スタンフォード大学に行くまで、研究がかなりうまく進んでいたタイプで。博士課程を修了する頃には良い研究成果があり、それを携えてシンガポールの大学に所属し、約3カ月ほどで論文を書くことができていました。だから、スタンフォード大学には、かなり自信を持って留学したんです。しかし、現地で研究生活を始めて、その自信はへし折られ、手がけたプロジェクトは1年半ほどの時間が経ってもなかなか芽が出る気配がありませんでした。
どうにか状況を変えたいとの思いから、精神面に効果があるかと期待して、髪型を坊主に変えたこともあります。ですが、実験中にガラスに映る自分の姿を見て気がついたのは、こんなことをしてもただみじめなだけで、気持ちを入れ替えたからといって成果が出るわけではないということでした。
そんなとき、これまであまり仕事の話をしてこなかった妻に自分の職場の状況や抱えている問題を吐露したところ、妻が一言、「研究室の他の人からもらったアドバイスを見直してみたらいいんじゃない?」と言葉をかけてくれました。その言葉に納得した僕は、すぐさま研究ノートやメモを見返すことに。その結果、ノートやメモの中から、現状を打破できるようなコメントが見つかったのです。
それ以来、僕はすべてを一人で抱え込もうとするのではなく、適切に共同研究者を見つけ、気持ちよく頼ること、そしてできるだけ多様な人から言葉をもらえるよう、意見したくなるような雰囲気で人と話すことを大切にしています。だから、僕の研究室は、他と比べても共同研究の機会がかなり多いと自負しています。また、研究室全体にも「自分のできる領域と相手のできる領域の境目をうまく見つけ、お互いに適切に頼る」という文化が浸透しているように思います。
——意見したくなるような雰囲気づくりを心がけているということですが、日頃のコミュニケーションの中で、具体的にどのような姿勢や取り組みを実践されているのでしょうか。
特に学生に対しては、笑いをとることを心がけていますね。あとは、良い成果が出たら、それを純粋に褒めることでしょうか。「情けは人の為ならず」ではないですが、見返りは求めず、相手の成果や良いところ、素晴らしいと感じるところをコミュニケーションの中で純粋に伝えるようにしていると、結果的にその言葉や姿勢が相手の心を動かし、自分の研究にも良い影響をもたらしてくれると感じています。
研究者にも不可欠なコミュニケーション力
——これまでの研究生活の中で経験した「印象深いできごと」があれば、お聞かせください。
2つあります。1つ目が、博士の頃に研究の本質的な意味を実感した経験です。当時の僕は、銀とゴムを混ぜて導電性を持たせるという研究に取り組んでいました。その際、理由は不明ですが、材料として良い特性が発現したことがありました。なぜその特性が出てきたのか、メカニズムを自分なりに予想して電子顕微鏡で材料の構造を観察したところ、自分が思っていたのとは全く異なる構造で材料が構成されているのを発見。そのとき、研究は自然を相手にした営みであり、地道な観察を続けることが何よりも大切なのだと感じました。
2つ目が、人対人のコミュニケーションの大切さを実感したできごとです。ポスドク時代、僕は奨学金を利用して留学に来ていた韓国出身の学生と仲良くしていました。ある日、彼は論文を『Nature Materials』という材料系の分野で最も有名な論文誌に投稿。しかし、すぐにリジェクト(論文が不採用になること)されてしまいました。個人的にその韓国出身の学生の研究を応援していた僕は、リジェクトの事実を知るや否や、すぐさま彼に電話をかけ、「君の研究は絶対におもしろいから、諦めずに頑張れ!」と1時間ほど励まし続けました。その後、彼は再奮起。もう一度論文を点検し、修正を加え、最終的に世界的にも有名な『Science』という論文誌に掲載されたのです。その経験から、人との接し方やコミュニケーションのとり方も良い研究を生み出す上で大切な要素のひとつなのだと学びました。
—―どちらのエピソードも興味深いですね。特に2つ目は、先ほどのお話とも関連しており、研究者の世界においてもコミュニケーションは大切なことなのだと改めて実感しました。
研究者といえど、人とのコミュニケーションは欠かせない。これは本当にその通りだと思います。
「かっこいい研究者」と聞くと、毎日のように研究室にこもり、地道にいろいろな実験を行って、おもしろい結果にたどり着く人というイメージを想起する方が多いと思います。僕もそうした研究者像が頭の中にあり、天才的なかっこいい研究者になりたいと考えていた時期もありましたが、先ほどお話したポスドクの頃の経験も含め、さまざまな研究者と出会う中で考え方が変わってきました。最近は、他の研究者と比べても「コミュニケーション」は自分の得意なことなのかもしれないなと思うようになっています。先週もアメリカ・シアトルに行ってきましたけれど、「せっかくこっちに来たのなら、会おうよ」と声をかけてくれる友人が何人もおり、ありがたいことだなと感じました。
とはいえ、昔から人と関係を築く能力が高かったわけではなく、もともとはコミュニケーション下手だったんですよ。
——意外ですね。ここまでお話を伺っていて、コミュニケーションが苦手な方だとは一切感じませんでした。
そう感じてくださったのなら、それは大学時代にコミュニケーションが得意な友人と特訓した成果のたまものです。大学1年生の頃までは、異性と目を合わせて会話することもままならないくらいでしたから(笑)。高校生の頃はよく「会話をしていると、目がコロコロ動くよね」と言われていましたし、大学のサークルの新入生歓迎会では、目の前の席に座った女子学生が別世界の人のように感じられて、しどろもどろになっていたのを今でも思い出します。
—―松久さんにもそのような過去があったとは……(笑)。ここまで、興味深いお話をたくさん伺うことができ、松久さんという研究者の存在をより身近に感じることができたように思います。ただ、学校を卒業すると、アカデミックな世界とは縁遠くなってしまう人も多いもの。そうした方々に向けて、研究者としてお伝えしたいメッセージがあれば、最後にお話しいただけますか?
研究やサイエンスという言葉を聞くと、「難しいもの」と身構えてしまう方も多いかもしれません。ですが、私の研究のように、一般の方々でも比較的分かりやすく、興味を持っていただきやすい研究も多数存在しています。「難しいから」と科学や研究を避けるのではなく、「なんとなくおもしろそう」という直感を頼りにしていただいて構いません。研究者の熱量に触れたり、研究の雰囲気を感じ取ったりするだけでも発見や学びがあると思うので、ぜひ研究の世界をのぞいていただきたいです。自分が感動を共有できるような研究者に出会えるまで、さまざまな研究者とコミュニケーションをとっていただけたらなと思います。
■プロフィール
松久直司/Naoji Matsuhisa
東京大学先端科学技術研究センター准教授。2012年に東京大学工学部電気電子工学科を卒業後、同大学院で染谷隆夫教授のもと学び、2017年に博士号(工学)を取得。その後、シンガポールの南洋理工大学とアメリカのスタンフォード大学でポスドク研究員として経験を積む。2020年に慶應義塾大学専任講師として着任し、同年より科学技術振興機構さきがけ研究者を兼任。2022年から東京大学生産技術研究所准教授に着任し、2023年より現職。「柔らかいナノ電子材料を用いたインタラクティブデバイス」をテーマに、次世代ウェアラブルデバイスの研究開発に取り組む。フレキシブル・ストレッチャブルエレクトロニクス研究会代表を務めるなど、分野の発展にも貢献している。
(取材・文/市岡光子、写真/関口佳代)
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