一つの研究が、未来を大きく変えるかもしれない──。世界には、まだ知られていない大きな可能性を秘めた研究が数多く存在します。「科学の力で、世界を前に進める。」を掲げるStellar Science Foundation(SS-F)は、科学研究の本質を追求し、その力をさらに大きく飛躍させることに挑戦しています。
連載「Invent Innovation」では、研究者へのインタビューを通じて、世界を前に進める「革新(Innovation)」を可能にする鍵となる知を「発明(Invent)」している研究に焦点を当てます。革新的な知を生み出す背景やプロセスに迫り、研究内容そのものが持つ可能性とその影響力を深掘りしてお届けします。
第1回でお話を伺ったのは、「睡眠」をテーマに研究を行う林悠(はやし ゆう)さんです。2024年9月に科学誌『Cell』に掲載された論文の中で、林さんは「人のレム睡眠を司る神経細胞の発見」を発表しました。この画期的な研究は、今後パーキンソン病などの難病の予防や治療に役立てられる可能性があるとして、注目を集めています。
「なぜ人は眠るのか?」という問いと向き合った10年以上にわたる研究の末、「ようやくレム睡眠の“スイッチ”を発見できた」と語る林さん。林さんの研究は、未来をどう変えていくのでしょうか?
なぜ人は眠るのか?──睡眠をめぐる大きな「謎」
──まずは林さんの研究内容について、教えていただけますか?
私の研究テーマは、一言でいえば「睡眠」で、特に「睡眠の役割」に注目しています。
実は睡眠には、まだ解き明かされていない謎がたくさんあるんです。中でも大きな謎の一つが、「眠くなる理由」です。眠気とは何か、「眠い」という独特の感覚はどこからやってくるのか……その実態や由来は、まだはっきりとは明らかにされていません。
もう一つの大きな謎が「睡眠の目的」です。極端な例として、いくつかの動物種は「ずっと寝ないと死ぬ」という事実が、明らかになっています。しかし「なぜ眠らないと死んでしまうのか」の理由までは、解明されていないのです。
──「睡眠」は私たちにとって非常に身近なものですが、その目的やメカニズムといった基本的なことにもまだ謎が多いのですね。
はい。そうした謎を紐解き、睡眠が持つ意味や役割をより明らかにするために、私は研究を行っています。
中でもここ数年、力を注いでいるのが、「レム睡眠の目的」を解明することです。
睡眠には大きく分けると、レム睡眠とノンレム睡眠という二つの種類があります。この分類自体は以前からよく知られていますが、それぞれがどのような役割を果たしているのかについては、実はまだ曖昧でよくわかっていません。レム睡眠とノンレム睡眠の役割を明らかにすることは、先ほど触れた睡眠をめぐる“謎”を解き明かすことにも、つながっていくはずだと考えています。
──「レム睡眠」とは、どのような睡眠のことを指すのでしょうか?
レム睡眠の特徴は、簡単に言えば「夢を盛んに見ること」です。
レム睡眠が初めて報告されたのは1953年のこと。眠っている人の閉じたまぶたの下で、眼球が活発に動く現象が発見されたのがきっかけでした。実際に、たとえば寝ている子どもの目を見てみると、ゆっくり動いているときとものすごく速く動くときとがあります。後者がいわゆるレム睡眠で、その際は呼吸や心拍数も上昇している状態です。それゆえ「Rapid Eye Movement(急速眼球運動)」の頭文字を取って「レム(REM)睡眠」と名付けられたわけです。
そのタイミングで突然起こされると、ほぼ100%の人が「夢を見ていた」と申告することが知られています。こうした現象についても、すべて1953年の論文で報告されています。
それから約5年後には、猫の睡眠を観察した研究においても似たような状態が報告されています。この研究では、脳波は覚醒時とよく似た状態を示しているが、一方、筋電図を見ると筋収縮が非常に弱いことがわかりました。こうした逆方向の動きを見て、ヨーロッパの研究者はレム睡眠を「パラドキシカルスリープ(逆説的睡眠)」と命名しました。そのため、今でもアメリカの系列の研究者は「レムスリープ」、ヨーロッパの研究者は「パラドキシカルスリープ」と呼ぶことが多いです。
──噛み砕くと、レム睡眠は「脳は覚醒状態にあるが、体は動いていない状態」とも言えるでしょうか。
そうですね。もちろん“覚醒”といっても、実際に起きているときの脳とは違う点もたくさんあります。とはいえ、脳波だけを見れば覚醒にかなり似た状態であると言えます。
その一方で、筋肉は脱力した状態である。いわゆる“金縛り”の状態です。これにより、脳が
夢を見ても体が動き出すことはなく、安全に眠ることができるのです。
10年以上の研究の末、ついに発見したレム睡眠の“スイッチ”
──そうしたレム睡眠の研究を、林さんはどのようなアプローチで進めているのでしょうか?
私たちの研究室では、大きく分けて二つのアプローチを用いて研究を行っています。
一つは、脳の神経回路に関する観察です。レム睡眠を生み出している神経細胞を脳内で発見したのですが、その神経細胞を人工的に操作できるマウスをつくり、そのマウスのレム睡眠を増減させるとどのような影響が生まれるのかを観察しています。
もう一つは、脳内の変化に関する観察です。人間の脳の観察は困難なため、こちらも主にマウスを使用します。特殊な顕微鏡を用いて、レム睡眠中の脳内における変化を観察します。
──これまでの研究では、たとえばどのような発見がありましたか?
直近でいえば、レム睡眠や夢の仕組みと意義への理解を深めるための研究を行い、その成果を「レム睡眠を誘導する神経回路を解明し『夢を演じる病』の原因を特定」というタイトルで発表しました。その論文では、レム睡眠の操作がかなり自在にできるようになったことについて報告しています。
この背景には、脳幹にあるレム睡眠を司る神経細胞を発見したことがあります。
脳幹は呼吸や血圧調節など、生きるのに必須な機能を担う脳の中枢部分です。非常に複雑な構造をしており、同じ場所にレム睡眠、ノンレム睡眠、覚醒を制御する細胞、さらには排尿や呼吸を制御する細胞など、さまざまな機能の細胞が混在しています。それらが一斉に活性化すると異常な状態になってしまうため、個々の細胞を分子生物学的アプローチで、丁寧に分類して調べる必要がありました。そうしないと、個々の細胞の機能が解明できなかったのです。
私たちは10年以上そうした研究を続け、ようやくレム睡眠を司る神経細胞を発見しました。そして、その神経細胞を人工的に活性化したり阻害したりできるマウスをつくりました。レム睡眠をオンにする神経細胞を活性化すれば、一時的にレム睡眠ばかりの状態を生み出せる。逆に働きを抑制すれば、レム睡眠をなくすことも可能です。このようにレム睡眠を任意に発生させたり止めたりすることで、レム睡眠の役割をさらに探ることができると考えています。
──つまり、レム睡眠をある程度意図的につくり出せるようになったということでしょうか。
はい。ただ、以前から脳の回路におけるある部分の働きを変えることで、一時的にレム睡眠を増減させることは可能でした。私たちも2015年に『Science』でそのことを報告しています。しかし、今回発見したように長時間にわたってレム睡眠を増加し、しかも覚醒状態から直接レム睡眠へ誘導できたのは初めてのことです。
今回特に重要だと考えているのは、レム睡眠のスイッチそのものを発見できたことです。人は健康であれば、必ず起きている状態からまずノンレム睡眠に入り、その後レム睡眠が出現するという順序で眠ります。しかし、今回発見した神経細胞を活性化すると、最初からレム睡眠に入り、それを継続させることができるのです。今まで発見されてきたのは、レム睡眠を間接的に調整する個々の周辺要素でした。しかし今回は、その神経細胞に働きかけるだけで、レム睡眠そのものを操作することができる。いわば、直接のスイッチを発見できたのです。
とはいえ、今回の発見も完璧だとは考えていません。この神経細胞を活性化するとレム睡眠が強く誘導されますが、破壊してもレム睡眠が半分程度残ります。おそらくこの細胞と補完し合う細胞がまだあるからであり、その存在を突き止めるにはさらなる探索が必要です。
──10年以上かけて脳幹の各部分を調べた結果、この神経細胞を特定できた背景には、どのような要因がありましたか?
個々の種類の細胞を調べるにあたり、毎回新たな遺伝子組み換えマウスが必要となるため、相当な数の系統のマウスを作製しました。特殊な技術や手法というよりは、成果の保証のない研究を長期間継続できたことが、最終的な結果につながったのだと思います。さまざまな試行錯誤のなかで、ようやく一つ成果を得られたという印象です。
また今回の論文発表にあたっては、スピロス・グーラスさんの助けも大きかったです。スピロスさんとはSS-FのEditor Connect(エディター・コネクト:Nature PublishingやCell Pressなど、世界のトップ科学誌の編集者を招聘し、世界水準の論文の書き方やプレゼン方法について学ぶことができるイベント)を通じて出会いました。
論文をまとめるにあたって、さまざまな視点から、とても丁寧に助言してくれましたね。論文の審査員への説明文を添削してくださるだけでなく、『CELL』のエディターとのコミュニケーション方法までアドバイスしてくださり、とても助かりました。そうした第三者の目線で論文にアドバイスをくださるアドバイザーはまだまだ日本では珍しい。常に合理的な説明をしてくださるので、納得して修正することができましたね。
そして10年間におよぶ研究の中では、副産物的に得られた成果もありました。その一つが、レム睡眠をオフにする神経細胞の発見です。ここまで紹介してきた神経細胞とは逆で、活性化するとレム睡眠が一時的に消失するというものです。文字通り偶然の発見でしたが、先ほどお話ししたように2015年に『Science』で報告することができました。こうした副産物として得られた発見にも、大きな意味があると考えています。
レム睡眠の研究から、パーキンソン病やうつ病の早期予測・治療へ
──今回の発見は、今後どのような社会変革や課題解決につながりうる可能性があるのでしょうか?
一つあるのは、国指定の難病として知られるパーキンソン病の早期予測や治療につなげられ
る可能性です。パーキンソン病は、患者のレム睡眠が特に異常になることでも知られています。レム睡眠行動障害とも言われ、パーキンソン病発症の10年以上前から始まることが多く、すでに早期予測の指標としても注目されています。
先ほども触れたとおり、健康な人は金縛り状態で安全に夢を見ることができます。一方で、レム睡眠行動障害の人はこの金縛りが起きず、夢の通りに体が動いてしまうのです。これは睡眠中の異常行動の一種で、このような症状が出現すると、高確率で後にパーキンソン病を発症するとされています。さらにパーキンソン病の発症から数年が経過すると、レム睡眠自体が消失するケースがあることも知られています。
実際に、大阪大学の神経内科との共同研究において、死後のパーキンソン病患者の脳を調査しました。今回マウスで発見した脳幹のレム睡眠誘導細胞と同様の細胞は人の脳でも見つかっていますが、パーキンソン病患者の脳では、これがほぼ消失していることがわかったのです。このことから、私たちが発見した神経細胞が脱落していることが、パーキンソン病患者のレム睡眠異常を引き起こすことにつながっていると考えています。
──パーキンソン病の早期予測や治療のあり方を大きく変える可能性があるのですね。
パーキンソン病に加え、もう一つ注目しているのはうつ病です。その理由の一つは脳血流にあります。脳血流は特殊で、たとえば階段を上るなどの運動で心拍数や血圧が変化し、全身の血流が変わったとしても、脳血流量はほとんど変化しないのです。これは脳の神経細胞がエネルギーを蓄えられず、常に血液からグルコースや酸素を供給される必要があるためです。その結果、脳は血流を常に一定に保つ仕組みが発達しています。
ただ、これまで睡眠時の脳血流の変化については、あまり多くのことが解明されていませんでした。そこで数年前、特殊な顕微鏡下でマウスに睡眠に慣れさせる実験を行いました。下部をトレッドミルにして運動できるようにし、静脈注射で蛍光色素を入れ、毛細血管を観察できるようにしたのです。この方法で、覚醒時と睡眠時の毛細血管を流れる赤血球を測定しました。
大脳のさまざまな部位で調査したところ、どの部位でもレム睡眠時は覚醒時と比べて約2倍の血流量があることがわかりました。ここでいう覚醒時とは、運動などで活動的な状態のことです。つまり、脳波においてはレム睡眠は覚醒時と類似していますが、血流量に関してはまったく異なり、レム睡眠時のほうが極めて血流が高い状態にあることがわかりました。
認知症やうつ病における特徴の一つとして、大脳の血流低下があるとされています。一方で、レム睡眠は脳の血流量を増加させ、脳の隅々まで血流を行き渡らせる特徴があるとわかりました。つまり、レム睡眠の減少がうつ病や認知症のリスクを高める可能性があるという仮説が立てられます。
もちろん、これだけではレム睡眠の減少が原因なのか、元々の体調不良がレム睡眠減少を引き起こしているのかは不明です。この因果関係の解明が、今後の課題の一つです。パーキンソン病患者は進行に伴い多くが認知症を発症しますが、レム睡眠の減少と認知症発症の関連性についても、解明したいと考えています。
林 悠
東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 教授
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS) 客員教授・主任研究者
2008年4月、理研BSI・行動遺伝学技術開発チームに基礎科学特別研究員として入所。2011年4月から2013年3月まで同チームで研究員。2013年4月から2015年12月まで筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)助教・主任研究者として活動し、2013年10月から2017年3月までJSTさきがけ研究員(兼任)。2016年1月から2020年3月まで同機構准教授・主任研究者を経て、2020年4月から2022年3月まで京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻教授、2022年4月から2023年3月まで同専攻特定教授、2020年5月より筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)客員教授・主任研究者(現職)。2022年4月より、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻教授(現職)。 睡眠や夢の生理的意義の理解と、睡眠障害に関する新たな治療法の開発を目指し、睡眠を制御する神経回路や分子経路の研究を行っている。
(文:栗村智弘 写真:関口佳代 聞き手・編集:小池真幸)