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2023年12月27から28日の2日間、千葉県柏市の柏の葉カンファレンスセンターにて、Stellar Science Foundation (以下SS-F)の2回目のリトリートを開催いたしました。今回のレポートは、『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』(講談社)、『認知症の新しい常識』(新潮新書)など、数々の科学技術に関する著書を手掛けられたサイエンスライターの緑慎也氏による執筆です。

【SS-F Retreat 2023: Bridging Worlds: Communicating Scientific Value Across Fields(異分野を繋げ:組織・分野を超えてサイエンスを語ろう)】

「僕が最近注目しているのは放射線を当てても死なないバクテリア」
「デイノコッカス・ラディオデュランスでしたっけ」
「そうそう、人間の致死量の一千倍の放射線を浴びても生き残るんです。ゲノムはズタズタになるんですよ。でも、ちゃんと全部修復される。その修復能力を理解してヒトの遺伝子を組み換えれば 」……
「老化を止められる!」
「そうなればいいんじゃないかと思って」
「どこで見つかったんですか?」
「缶詰の中。放射線で滅菌した缶詰が後で膨らんで爆発したらしい。そこから発見されたんです」
「滅菌したから生まれたのかもしれない。ってことは缶詰によって発明された生物?」
「ははは、面白いバクテリアだけど、誰も真面目に研究してないんですよ」
「放射線を浴びて誕生したってことは ゴジラ…… !?」

 2023年12月27から28日の2日間、千葉県柏市の柏の葉カンファレンスセンターにて、Stellar Science Foundation (以下SS-F)の2回目のリトリートが開催された。「 Bridging Worlds: Communicating Scientific Value Across Fields(異分野を繋げ:組織・分野を超えてサイエンスを語ろう)」が今回のテーマだ。上記は1日目の夜の催し「BAR SS-F」の一幕である。ソファや畳など、ゆったりと過ごせるスペースをしつらえたカンファレンスルームの一角で、12人の研究者とSS-Fスタッフたちは夜が更けるまで語り合った。

 この即席の宴会が盛り上がったのは、その日のランチ、セッション、ディナーと続く中で、参加者たちの親睦が徐々に深まっていたからに違いない。

 リトリートの最初に実施されたランチの時間では、各自数分ずつの自己紹介が行われた。とりわけ大きな笑いを誘ったのは「洗濯が苦手」と明かした研究者だ。学生時代はパンツを14枚用意し、毎日履き替え、15日目に最初の1枚を嗅いだところ、なんと臭いがすっかり消えていたという。「(後に)この発見を妻に話したら呆れられて。あなたは研究者だからプロトコル通りやればいいと言われた。一、集める、二、洗濯機に入れる、三、洗剤を入れる、と説明してもらい、今では洗濯できるようになった」

ランチ後、カジュアルな会話を楽しんでいる参加者たち 

 ランチで打ち解けた雰囲気を残したまま、次のセッションへ。名づけてFiresideChat。暖炉を囲んでおしゃべりするように、各自が研究内容を語るセッションだ。印象的なやりとりの一部を紹介しよう(ただし研究者の氏名や所属については説明を加えると長くなるためあえて記していない)。

 狙い通りのタンパク質を速やかに分解する方法を開発したことで世界的に知られる研究者によれば、そのブレイクスルーのきっかけは隣室の研究者からヒントをもらい、Natureの論文を渡されたことだったという。こう明かすと、会場が「おお」と沸いた。大発見の瞬間が垣間見えたのだ。「イシュー(問題、課題)は分かっているけど、アイデアは自分では生みだせないから、セミナーの機会などを利用して周囲に自分の構想を話していたら、『こんなのがあるよ』と教えてもらえた。いろんな人に話すのがいい」

 この研究者は、医学への応用も期待される改良版を現在開発中だという。しかし「僕自身は医学には興味がない」とキッパリ。「もし誰か医学研究に使いたい人は是非どうぞ」と呼びかけると間髪置かず「やります!」と応える声が上がった。

 一方、具体的なアイデアを挙げて共同研究者を募る人も。「(ChatGPTのような対話型生成AIの)大規模言語モデルや(画像生成AIの)ディフュージョンモデルを使ってヒドラのゲノムをデザインして、多細胞システムが成り立つ条件を探りたい。情報系あるいはAIモデルに興味のある生物系の研究者がいたら是非一緒にやりましょう」

 質問も矢継ぎ早に飛ぶ。長寿で知られるハダカデバネズミ(通称デバ)の研究者には「デバが長寿と言っても人間の方が長生き。デバの仕組みを人間に応用すると、かえって人間の寿命は短くなるのでは?」との素朴だが鋭い問いが投げられた。その答えは「体重と寿命に相関がある。デバの体重はハツカネズミほどだが、寿命はその10倍。人の寿命はたしかに長いが、年をとるにつれて、がんの罹患率も、死亡率も上がる。しかし、デバの死因にがんはほとんどない。寿命が長いだけでなく、老化しにくいのがデバの特徴です」というもの。デバはいつまでも若さを保ったままらしい。

 アットホームな雰囲気の中、活発な質問や意見が飛び交ったFireside Chat

 「病気になる前の人のデータを集めるのは難しいのではないか。何十年もの追跡研究が必要になることも考えられる。どのように被験者を集めるのか」との問いをぶつけられたのは、スマートウォッチなどのウェアラブルデバイスや唾液のデータから、病気の早期検知・予測を可能にするAI技術の研究開発に取り組む研究者だ。たしかにデータ収集は課題だと認めつつ、「日本の健康保険のレセプト(診療報酬明細書)を利用したり、海外とのコラボレーションでデータ収集を進めていたりする。疾患予測の基盤モデルを作りたい」との展望が語られた。

 参加した大半の研究者の専門は生命科学系だ。だが、サブカテゴリーでは発生生物学、遺伝学、老化・健康長寿学、バイオインフォマティクス、システム生物学などに枝分かれする。それぞれ研究手法も着眼点も異なる。だからこそ、専門の学会やセミナーでは滅多にないような素朴かつ鋭い質問が多かったと思われる。

 今回のリトリートでは数少ない工学系の参加者だった一人は、災害時にドローンやロボットを現地に展開し、通信衛星を通じ、被災状況を低消費電力で安定的に外部に伝えるための通信システムの開発に取り組む。一見、生物系研究者との接点はなさそうに思える。だが、会場から寄せられた「ドローンの代わりに渡り鳥に通信機器を載せて飛ばせると、山岳地や海上でもバッテリーを気にせずに通信できるようになるのではないか」との突飛な(?)アイデアに対し、「これまで人間と機械、あるいは機械と機械との通信システムを研究してきたけれど、今後は動物と機械の通信システムも考えたい」という。

 ゆったりとしたジャズがかすかに聞こえる中、落ち着いた、しかし活発なやりとりで、暖炉こそないものの研究者たちの心が温まり、自由な発想が生まれやすかったのではないか。

 日本の研究者は既存の理論や概念を応用する「発展(development)型」の研究は得意だが、新しいアイデアやアプローチによる「破壊(disruption)型」の研究は不得意としばしば言われる。

 しかし、SS-F創業者で、米シンシナティ小児病院や大阪大学、東京医科歯科大学など複数拠点に研究室を構える武部貴則は「日本には有利な点がある」と見る。

 SS-Fの今後のビジョンを語る武部貴則

 「破壊型と発展型の研究について調べた論文では、タイムゾーンが離れた研究者たちの共同研究ではdisruption は起きにくいと結論づけられている。その点、日本の各大学は地理的に近い。国際連携よりドメスティックな連携の方が効率が良いとも言われている」

 たしかにタイムゾーンが一つしかなく、互いの距離が近ければ直接会って打ち合わせすることも、オンライン会議のスケジュール調整もしやすい。「もう一つは英語が話せないこと。英語ができないせいで国際的な動向から取り残されていると悲観的に捉えられていますが、逆に、そのおかげで独自の研究が進めやすいとも言える。日本は意外にdisrpution に向いていると考えています」

 ただし改善すべき点もある。「海外に比べて、メンター制度が弱いところです。欧米では、キャリアのあらゆる段階で、自分より少し上の世代の人がメンターとして付いてくれます。そのポイントは、メンターが一人ではないことです。メンタリング・コミュニティが形成されて、複数の視点からのアドバイスが得られる。日本の場合、大学院で研究室に配属されると、基本的には教授一人の指導しか受けず、卒業するかどうかも次の就職先も教授次第です。院生は逃げ場がなく、メンタルにダメージを受ける人も少なくありません。院生は萎縮したり、教授に忖度したりして自分のやりたい研究をしにくい状況に置かれています。これほど教授の権限が強いのは世界でも日本だけといってもいいくらいです。たとえばイギリスの指導教員には院生を卒業させる決定権が与えられていません」

 セミナーのスタイルにも違いがある。「日本のセミナーは講師の話が1時間、コーヒーなどを飲みながらの雑談が30分で終わるのが一般的です。しかし海外のセミナーは2、3日かかる。講師の話は1時間でも、その前後に、若手研究者と上の世代の研究者とで1対1のミーティングが10から20回もくり返されるのです。若手は自分が会いたかった人と話して、アドバイスをもらったり、共同研究の機会を得たり、次の就職先を見つけたりする。僕もアメリカで独立して研究室を持ったとき、カルチャーショックを受けました。このような機会を、SS-Fを通して日本の研究者にも提供したいと考えたのです」

 今回のリトリートには第一線で活躍する研究者の他に、大学院生など若手も参加した。格式張ったところのない、和やかな環境で、先輩研究者と率直に語り合える機会は若手にとって貴重なものだったに違いない。

 人的支援の弱さの他、資金面でのバックアップも弱いと武部は指摘する。「日本以外の国の場合、生命科学系の研究者として独立すると、年上のメンターが5人程度付いて、随時アドバイスしてくれる上、5年で約3,000万円の予算が付く。日本の国立大学で独立するよりもはるかに大きな額です。これがスタートアップパッケージ、つまり研究者の独立初期に提供される基本的機能です。ここを補強するのがSS-Fの役割の一つです」

 食事の席では、研究者、学生、ビジネスパーソンなど分野や立場の垣根を超えて会話が弾んだ

 SS-Fは若手研究者に向けた資金や研究環境の支援を目指すことに加え、PI(Principal Investigator)レベルの研究者が独自に資金源を広げる手段として起業支援にも取り組んでいる。

 しかし日本の多くの研究者にとって起業へのハードルは高い。そこで起業に向けた第一歩を踏みだしてもらうべく企画されたのがリトリート2日目のセッション「Scientific Founder Experience」である。

 その冒頭のプレゼンで、コンサルティングファームなどでスタートアップ支援に長く携わってきたSS-F共同創業者の苔口穂高が「スタートアップとはそもそも何なのか」を説明した。「たとえば街中で書店を立ち上げるのも立派な起業ですが、スタートアップとは異なる。爆発的な推進力で一気に宇宙まで飛んで行くロケットのように、短期間で急成長するのがスタートアップと言われています。同じ書店でも、オンライン書店として出発したAmazonは典型例の一つです」

 いかにして急成長を成し遂げるのか。「当然ながら一人では急成長できません。VC(ベンチャーキャピタル)、投資家などビジネスパートナーのサポートが必要です。そこで今日はその足がかりとして、みなさんには、1人目のビジネスパートナーに起業アイデアをどう説明するか検討し、実践していただきます」

 かくして参加者は5つのグループに分かれ、(1)どんな発見をビジネスにしたいか、(2)その起業アイデアにはどんなインパクトがあるか、(3)起業に際してどんなチャレンジがあるか、についてそれぞれ考え、科学者でない人にも分かりやすい表現にまとめる。そして最後に(4)ピッチを行う、という順番でセッションが進んだ。

 起業アイデアを何度も練り直しているところもあれば、どんな市場があるのかスマホで調べているグループもある。SS-Fのストラテジックデザイナーで、戦略コンサルティング企業でもスタートアップ支援に携わっているSean McKelvey(ショーン・マッケルビー)と苔口が、ファシリテーターとして各グループを回って進捗具合を確認する。

 分野の異なる参加者同士の会話で、ユニークな発想が生まれる瞬間も

 起業アイデアが固まり、順調にピッチへの準備を進めていたグループに、ファシリテーターの二人が「投資家から資金を引き出す上で、競合にどんな優位性を示せるかもポイントです」と声をかけると、メンバーの顔が引き締まる。起業に向けたプロセスの「練習」とはいえ、検討を重ねるうちに現実味が増していく。

 どのグループも見事なピッチで聴衆を唸らせ、このセッションにサプライズで参加した某製薬企業日本支社社長の「すぐにでも投資したい」とのコメントも飛び出した。

 SS-F共同創業者の北真理子は「研究の継続、発展、成果の社会実装にビジネスが果たす役割は大きい」と語る。「日本には、素晴らしいアイデアをもっている研究者が経済的なメリットを受けない現
状がある。そこをSS-Fで変えていきたい」

 予定されたセッションがすべて終わり、カンファレンスルームの扉が開くと、3歳から8歳の5人の子どもたちがどっと中へ駆け込み、それぞれの親の元へ向かう。実は、今回のリトリートの参加者は家族で招かれ、親がセッションに参加している間、子どもたちはホテルに設置した託児スペースで、SS-F側が用意した保育スタッフとともに過ごしていた(ランチやディナーでは子どもたちも一緒に参加した)。

 九州地方から参加した女性研究者によれば、家族同伴で参加できる学会やセミナーは国内ではほぼないという。「これまで出張する際は、夫に子どもを預けるしかなかったのですが、今回は家族で招いてもらったのでありがたいですね。東京観光もできて、子どもにとっても良い思い出になります」

 と話す親の近くで、子どもたちが鬼ごっこのような遊びをしている。この2日間で、大人たちと同じく子どもたちもすっかり打ち解けたようだ。

 北海道から夫婦で参加した研究者がホテルを出るとき、子どもに「どうだった?」とたずねるのが聞こえた。彼の答えは、今回のリトリートを象徴する言葉に思えた。「楽しかった!」

 リトリートの最後に撮影した集合写真。この後、子どもたちも交えた写真の撮影も行われた

【取材・文:緑 慎也】