第二回目となるSTELLAR SCIENCE FOUNDATION(SS-F)主催のイベント「Pioneers Host Pioneers(PHP)」が2024年7月29日、渋谷にあるFabCafe Tokyoにて、オンライン配信と合わせてハイブリット形式で開催されました。PHPは、ゲストだけでなくモデレーターも第一線で活躍する研究者がつとめるというスタイルで行い、ゲストによる講演と、対話型セッションを通じて、参加者の日々の研究活動に新たな視点を提供しようというものです。
今回のモデレーターは、東京大学薬学系研究科助教の岡部弘基さん、そしてゲストスピーカーは脂肪細胞研究の第一人者であるハーバード大学医学大学院教授の梶村真吾さんです。梶村さんは生物のエネルギー調節において重要な役割を担う「褐色脂肪細胞」についての知見を深め、そこから代謝異常などに関する新しい治療法へ繋げるための研究を進められています。
イベント当日の東京は最高気温が35度を超える猛暑日でした。講演の冒頭で梶村さんは「こんな暑い東京で、熱の話をするのは間違いだったかもしれませんが…」と呟き、会場を和ませます。「How Do Cells Make Heat?」と題された講演はまず、体温の重要性についての話からスタートしました。
生物の進化に不可欠な脂肪細胞
「生物の進化を考える上で、体温を生み出せるようになったことはとても大きな出来事です。体が熱を維持することができたからこそ、生物は夜間に動くこともできるようになり、温度の低い北の方に行くことも、冬に生きることも可能になりました。この体温生成に関わる重要な役割を担うのが、褐色脂肪細胞です。」
「エネルギーを貯蔵する白色脂肪細胞と違って、褐色脂肪細胞はエネルギーを生成する器官であるミトコンドリアを多く有しています。人間では筋肉の震えで熱を発生させることのできない乳児に多くみられる細胞ですが、ここ10年ほどの研究で、乳児だけでなく大人でも有すること、加えてその割合がメタボリックヘルスと関係することがわかってきています。また、長時間の寒冷刺激によって白色脂肪から誘導される誘導性褐色脂肪細胞(ベージュ脂肪細胞)も発見されました。」
寒さを“模倣”する新しいアプローチとは?
寒い中にいれば褐色脂肪細胞が活性化するといっても、そう簡単に治療法などへの応用はできません。「寒いと居心地が悪いですし、心臓への負担も大きいです。そこで寒さを“模倣する”ことはできないかと考えました」と梶村先生。マウスを使った研究では、オプトジェネティクス(光遺伝学)によってパルス光を細胞に当て、体温を上げることに成功したと言います。
「哺乳類以外にも蛇やハチドリ、植物に至るまで熱を生み出すことができる生物はたくさんいます。しかし、まだそのメカニズムが全てわかったわけではありません」。梶村さんが今研究しているのが、マグロです。マグロが持つ冷たい海中で目や脳を温めるための仕組みには、サルコメア(筋肉が収縮する最小構造)がないことがわかってきたようです。つまり筋肉の震えではない熱生成の仕組みがあるのです。
こうして生物の多様性をツールとして、細胞の熱生成に関する研究を進めていきたいと展望を語り、梶村さんは講演を締めくくりました。おおよそ1時間のセミナーは、会場・オンラインの参加者から予定時間ギリギリまで研究内容について多くの質問が寄せられ、活発に質疑応答が行われました。
釣りと科学の共通点
セミナーに続いて行われたのが、第二部の「Fireside Chat」。これは、暖炉や焚き火を囲んで話すかのようにリラックスして、参加者も一緒になって対話を行うというものです。前回に引き続き、今回もSS-Fストラテジック・デザイナーのSean McKelvey(ショーン・マッケルビー)がファシリテーターとして、梶村さんと岡部さんからさまざまな話を引き出しました。
最初の話題になったのが、好奇心についてでした。幼い頃からいろんな物事に興味を持っては不思議がっていたという梶村さんですが、特に魚に関しては大人になった今でも好きだと言います。「釣りと科学って似てるんですよ。何を釣り上げたいのか想像して、頑張り続けることが大事ですし、我慢も必要。どこでお弁当を買って、どこに行って何を釣ろうか……、このプロセスが好きなんです」。
もちろん、楽しみながら進める中で、ときには失敗することもあります。しかしそれもプロセスの一環だと、梶村さんは楽しそうに話します。「そこから学ぶこともありますから、失敗も楽しまないと。釣りにも科学にも共通する大事なこと、それは大きなものを釣りたければ、誰もいないところに行こうということです。何にも釣れないこともあるけれど、それも人生です」。他人と競争するのが嫌いだと話す梶村さんの話に、岡部さんも「私もできるだけ競争したくない。誰もいないところで挑戦するからこそ、パイオニアになれると思っています」とうなずきます。
たとえ苦労することがあっても、面白いからこそ楽しく続けることができる。耐え忍んで気合いで乗り切るようなことではない、と話す梶村さん。しかし、大人になれば、子どもの時に感じた好奇心や夢中さを持てなくなったと感じる人も少なくないでしょう。Seanからの素朴な質問に対して、梶村さんはこう答えていました。「同じ対象に固執する必要はないと思います。私はほとんどの物事には無頓着なのですが、特定なことにはずっと夢中になれるのが強みであり、また弱みでもあるんだと思います」。
社会への影響と研究者の役割
今回のテーマであった体温や脂肪細胞に関する研究は、社会的な影響も少なくありません。会場から出た「社会に影響がある発見をすると、研究以外に時間が取られてしまうことはないのか」という質問に対して、梶村先生は「バイオテックはとてもエキサイティングです。産業界に行けばもっとできることもあるでしょう。ただ、大事なことは、それは本当に私がしなければいけないのかどうかを問うことです。最終的な結論として、自分以外の人が、物事を前に進められるということであれば、そちらに任せたりサポートしたりすればいい話なんだと思います」と話します。
バイオテックについてはスタートアップへの投資も活発になっています。この動きは研究テーマに影響するのかというSeanからの質問には、「もちろん金銭的なインセンティブは大事だけれど、重要というわけではありません。それよりも相乗効果が大事。例えば、先ほどセミナーで話した“寒さの模倣”をより高いレベルで実現するには、産業界の方がうまく進めることができるかもしれません。プログラムを通じてどのような相乗効果を生み出すことができるのか、という視点が重要だと考えます」と答えていました。
研究室は“農場”?人材の採用についての考え方
第二部も後半に差し掛かったところで話題となったのが、人材の採用についてでした。どのように採用やメンタリングを行なっているのかという会場からの質問に対して、梶村さんは「メンタリングによって相手の考え方に影響を与えることはやっていません。独立した“考える人”になってもらうよう、サポートすることが大事です」と話します。
人によってマインドセットも違えば抱える背景も異なります。研究者にはこの“多様性”が必要だと言います。「アウトサイダー、異分野・異端の人がブレイクスルーを生み出します。私もそうありたいですし、採用では私が持ち合わせない目を持っている人、自分とは違う人を採用したいと思っています」。共通の熱意や関心をもちつつ、クレイジーなアイデアに乗っかってくれる人だといいな、という梶村さんの言葉に、岡部さんは「研究室って農場なんですよね。柵を周りに作って、その中ではみんな自由にすればいい。どんな大きさの農場がベストなのかはわかりませんが……」と笑います。
終盤、研究に対する姿勢について話が及ぶと梶村さんはこう話しました。「新しい発見をすると、もちろん批判されることもあります。イライラすることもありますが、この気持ちは好機の源でもあります」。これまでの歴史が示すように、新しい技術と慎重な観察の掛け合わせは新たな発見を生み出します。梶村さんは学生に、“観察”が大事だとしばしば伝えると言います。「再現できない成果は、発見の源になります。先週と今週で出てくる結果が違えばフラストレーションももちろん溜まりますが、発見や驚きへとつながることだってあります。ミーティングでは失敗や再現できない事象についてどんどん教えてほしい、と学生に伝えています」。
しっかりと冷房が効いているはずの会場でしたが、まるで外気のように熱を帯びた対話はあっという間に予定していた時間を迎えてしまいました。イベント終了後も会場では、参加者同士、そして登壇者を交えての“延長戦”が続くのでした。
【取材・文:本田 隆行】