昨今、高い注目を集めている「エクソソーム」。生き物の体内にあるすべての細胞が産生する微粒子で、かつては「細胞が不要となったものを排出するための仕組みのひとつ」だと考えられてきました。
しかし約20年前、エクソソームが細胞間コミュニケーションに大きな役割を果たしている可能性が指摘されます。その結果、エクソソーム研究が進展。病気のメカニズムの解明や治療、予防に役立つ可能性を秘めた研究分野として、大きな期待が寄せられています。
今回、 学の最前線で革新的な研究に取り組む研究者へのインタビュー企画『Invent Innovation』では、そうしたエクソソームに着目。エクソソームがさまざまな病態に関わる可能性の解明に挑む、東京大学 先端科学技術研究センターの星野歩子さんにインタビューを実施しました。「がん」や「自閉スペクトラム症」、「妊娠合併症」などを対象とした具体的な研究内容、スタートアップ立ち上げを見据えた将来展望などについて、詳しく語っていただきます。
「 エクソソーム」とはなにか?
——星野さんが研究対象とされている「エクソソーム」は、どのような物質なのですか?
エクソソームは、生き物のすべての細胞が産生している30~150ナノメートルサイズの微粒子です。1980年代にその存在が初めて確認された際は、細胞内の不要物を細胞外に捨てる役割を果たしている物質だと考えられてきました。しかし約20年前、細胞から放出されたエクソソームが他の細胞に取り込まれている事実が判明。現在では、エクソソームに「細胞間のコミュニケーションツール」としての役割があるのではないかと考えられています。

血中内のエクソソームの姿(電子顕微鏡像)(星野教授提供)
——エクソソームによる細胞間コミュニケーションでは、どのような情報がやりとりされているのでしょうか。
詳しいことはまだ分かっていません。エクソソームが特定の分子を内包することによって、放出元の細胞や臓器がどのような状態にあるのかを、届いた先の細胞や臓器に知らせているのではないかと、さまざまな研究者が検証を進めています。
——放出されたエクソソームの行き先は、どのように決まるのですか?
私の研究室では、研究を通じて「がん細胞が産生するエクソソームには、郵便番号のような役割をする分子がある」ということを報告しています。エクソソームの行き先は、エクソソームの中にある分子によって決まる部分があるようです。ただ、まだ全貌が明らかになったわけではなく、分子がエクソソームの行き先をどのように制御しているのかといったことなどは、まだ明らかになっていません。
また、これまでの研究を見ていると、特定の臓器や細胞の間に密接な結びつきがあるのは間違いなさそうです。例えば、非常に近い場所にある子宮と卵巣から放出されたエクソソームは、それぞれ“仲の良い”臓器が異なり、同じような部位からスタートしても、最終的には違う場所へと向かうことが明らかになっています。エクソソームが各臓器や細胞をつないでいるからこそ、生き物の身体がバランスをとって生きられているということなのかもしれません。
——エクソソームは、人体にどれくらいの量が存在するのでしょうか。
1mlの血液の中に、数兆個ものエクソソームが存在しています。人間の身体全体で考えると、途方もない量のエクソソームが存在していることになります。
——昨今、社会の中で「エクソソーム」という言葉を目にする機会が増えました。これらは星野さんが研究されているものと同じ物質を指していると考えて良いですか?
いえ、最近よく見かけるエクソソーム関連の商品は、私の研究対象とはベクトルが全く異なるものです。
私は、一人の人間の身体の中で起こるエクソソームの働きに興味があり、疾病との関連性も含めて調べています。しかし、現在特に美容分野で話題となっているエクソソームは、幹細胞など、人体の外で産生されたものを指しているケースが多いです。「間葉系幹細胞」などの幹細胞は、“若返り”のイメージが強くついているもの。加えて、幹細胞が出すエクソソームには老化した細胞を若返らせる効果があるといった研究報告なども一部存在するため、美容業界などで大きな期待を集めているのです。
米国・コーネル大学での留学生活から始まったエクソソーム研究
——改めて、星野さんの研究テーマを教えてください。
先ほども少しお話しましたが、私は現在、エクソソームが人体でどのような働きをしているのかを明らかにすべく研究を進めています。エクソソームがなぜ存在するのか。人間の身体の中でどのような役割を果たし、それが臓器や細胞にどのような影響を与えているのか。こうしたことが分かれば、健康な体内に病変が生じるまでのメカニズムも解き明かすことができるかもしれません。さまざまな疾患とエクソソームの関係性について解析することで、疾患ごとのエクソソームの特異性を明らかにし、さらに疾患があることで体内で起きる現象に共通項などがあるのかどうかを、エクソソームという観点から見ていくことができればと、日々探究しているところです。
——エクソソームを研究対象に選んだのは、どうしてですか?
大学院生の頃に「がん」について研究していた際、原発巣から他の臓器や組織に転移が起こる仕組みに興味を持ったことが、大きなきっかけでした。当時の私が特に強く興味を惹かれていたのが、「前転移ニッチ」という概念です。前転移ニッチとは、がん細 胞が転移しやすい環境が整えられた場所のこと。つまり、転移は、がん細胞が転移先に到達する前から始まっていると考えます。
アメリカのコーネル大学医学部では、こうした考え方に基づいた研究を行っている研究室がありました。がんで亡くなる人を減らしたいと考えていた私は、大学院を修了後に渡米。で、がんの転移に関する研究を深めることにしました。その際、研究室を主宰する教授から、「がんは将来の転移先に対して、がん細胞が好む環境づくりを、エクソソームを介して指示しているのかもしれない」と仮説を提示されたのです。その仮説をもとに始めた研究が、現在の研究テーマにつながっています。
エクソソームと疾病とのかかわりを解き明かす
——星野さんは現在、「がん」「自閉スペクトラム症」「妊娠合併症」などについて研究を進めているそうですね。具体的にどのように研究を展開されているのですか?
がんに関しては、コーネル大学時代の研究内容を引き継ぎ、がんの転移機構を解明するための研究を行っています。放出元の臓器や細胞によってエクソソームの行き先が決まっているのなら、。現在は個々のエクソソームの解析を通じて、エクソソームががんの転移にどのように絡んでくるのかを明らかにしたいと考えています。
——自閉スペクトラム症に関する研究では、どのようなことを調べているのでしょうか。
自閉 ス ペクトラム症とは、社会的なコミュニケーションに困難さがあったり、空間や人、特定の行動に強いこだわりがあったりするなど、多様な特性がみられる発達障害のひとつです。脳の働き方に特性があるために、日常生活の中でできることやできないことのばらつきが生じてしまうと言われていますが、自閉スペクトラム症が生じる詳しい原因は未だ解明されていません。
そのため、この研究では、年齢や性別などの条件を揃えた上で、いわゆる定型発達の方々と自閉スペクトラム症の方々の血液内にあるエクソソームを分析し、特徴が見られないかを調べています。
——研究の結果、明らかになったことはなにかありますか?
血液内のエクソソームの質に大きな違いがありそうだということが分かってきています。私たちが調べたところによると、自閉スペクトラム症の方々から採取した血液内のエクソソームには、血球系の細胞や肝臓にまつわる分子が多く含まれていることが分かりました。
脳の働き方に特性のある発達障害のため、脳に関連した分子に何か特徴があるのだろうと予想していたのですが、エクソソームに関しては他の部位に関連した特徴が現れたのです。この結果が果たして、自閉症スペクトラム症の原因究明につながるのか、それとも診断マーカーの構築につながるのかは分かりません。今後の研究につなげていかなければならない部分だと思っています。
——妊娠合併症の研究内容についても、詳細を教えてください。
この分野に関しては、疾患と生理現象の解明の両方をターゲットに据えて研究を進めています。
私自身も娘の妊娠・出産時に経験して驚きましたが、妊娠中、母体には臓器のリモデリングを含めた大きな変化が生じています。そうした変化は、「胎盤が放出するエクソソームによって引き起こされているのではないか」と私たちの研究室では考えています。実際、胎盤由来のエクソソームは、妊質の異なるものが産生されていることが分かっており、私もそうした知見に基づきながら、エクソソームが出産までの母体の変化にどう影響を及ぼしているのかを調べています。いずれは妊娠期間がなぜ「十月十日(とつきとおか)」なのか、なぜ出産のタイミングで大量のオキシトシンが分泌されるのかも明らかになるかもしれません。
また、疾患については、妊娠中に腎臓に負荷がかかることでタンパク尿などの症状を表す「妊娠高血圧腎症」で、一部のエクソソームが尿中のタンパク量の増加を誘導している可能性を発見しました。この成果は近いうちに論文としてまとめ、発表するつもりです。

<出典>星野研究室サイトより https://hoshinolab-edu.com/research/p1/
スタートアップ企業を立ち上げ、研究成果の社会還元を目指す
——研究の今後の展望をお聞かせください。
アメリカから帰国して、今年で6年が経ちます。この6年間、疾病ごとのエクソソームの特異性や疾病間の共通性を洗い出すために、幅広い疾患を対象に研究を進めてきました。研究を“横に広げる”という意味では、すでに十分に取り組めたと感じているため、今後は特定の疾患や臓器、細胞などに焦点を当て、エクソソームがどこからきて、どのような分子を持ち、どのような役割を果たしているのかを深掘りするような研究を行っていきたいと考えています。
——研究が進むと、将来的には疾患の予防や治療にエクソソームを活用する未来も到来するのでしょうか。
そうなればいいなと思います。エクソソームが治療標的となる可能性もありますし、細胞でエクソソームが取り込まれた後に起こってしまう「悪い変化」を元に戻す治療もあり得るのではないかと考えています。
治療や予防の可能性を切り拓くためにも、まだまだ研究を続ける必要があります。そして、基礎研究の成果を社会にいち早く実装していくための仕組みづくりについても、真剣に考えていかねばなりません。実は最近、研究内容を社会に還元すべく、経営の専門家とタッグを組み、スタートアップ企業を作ろうと準備を進めています。
残念ながら、日本では基礎研究が社会実装に結びつきづらいもの。これまでも多くの研究者が指摘してきたことですが、ここ5年ほどでようやく、私自身も日本の基礎研究が社会に実装されるための環境に難しさを感じるようになりました。良い研究が自然と社会に還元されていく環境ではないのなら、自分自身で研究の成果を世の中に送り出していくしかありません。多くの方が長く健康に暮らせる未来の実現に向けて、引き続き力を注いでいきたいです。
プロフィール
星 野 歩子/Ayuko Hoshino
2011年東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了。8年半のWeill Cornell大学(米国)での研究生活にてポスドク、Research Associate、Instructorを経てAssistant Professorとなり、2019年4月より東京大学IRCNに講師として帰国。2020年3月に東京工業大学 生命理工学院 准教授としてラボを立ち上げた。2023年3月より東京大学先端科学技術研究センター・教授。
(取材・文/市岡光子、写真/関口佳代)